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波乱万歳 \(^o^)/     その1

17 0920 3
昨日午前の様子です
露出をいじって
戻さないまま撮ったので
明るい林が暗くなってしまいました

フォトの編集機能で
修正してみたら
陰影がはっきりついて
なかなかいい感じになりました

便利な時代です





兄が
末期癌であることは
主治医の
訪問看護への指示書で
明らかになっています

私が知ったのはひと月ほど前の事でした

兄はまだ知りません
自身は、もう長くない事はよくわかっていますし
いつどうなるかわからない事も、です

でも、『末期癌』だと認識していません

兄の思う末期癌とは
植物人間状態になった事を指しているようです

ですから
現在、関係者には
「兄には、最期まで
 『末期』だと、絶対にわからないように」
お願いしています

最後の最期まで
希望を持って
生き抜いて欲しいからです





5月のゴールデンウィークに
「一人で車を運転して
 関西へ行く !!」 と

周囲の「無理だ」の声を
聞き入れる様子がなかった時

思い余って
お忙しい主治医に
お時間を取っていただき
何とかできないか・・・
相談させていただいた際に
おっしゃられた事


「今、いる事自体が奇跡です
 2年前、あそこまでだと思った
 本人が、何とかもたせてくれと言うから
 薬を変えてみながらやっているけれど

 モチベーションがある事はとても大切な事です

 しかし既に
 いつ、どうなってもおかしくない状態なので
 もう、単独行動する時ではない
 僕から言っておきます

 本人には
 ありのまま言っています」


このお話しの時
私から
「末期ですか?」
と、言葉に出して聞く勇気はありませんでした


その後
主治医からは
「妹さんが心配しているぞ」
と、兄に無理な行動をしないよう
お話し下さったようですが

兄は、聞き入れる事も無く
ゴールデンウィーク
単独で決行し

無事に帰っては来たものの
「もう、二度と
 一人では行かない」
と、言ってました





母は
忘れもしない、3月3日
お昼に食べた、大好きなうどんを
夜、吐き下し・・・

それまで
少々、食事の量は減ってきてはいたものの
元々、好き嫌いなく
何でも美味しいと、食べていたのに

その日以来
食欲が激減し
口にできる物が少なくなり・・・


ただ
救われたのは
母のように
食の細くなった人向けの
高濃度栄養食品
飲み物ですが

これは
「美味しい」と
必要なだけ摂取し続けて
ここまで来ています


食べれない時は
メイバランス 



とは言え
最低限の栄養ですので
少しでも食事ができるに
こしたことはないのです





兄と母にとって
家族は
嫁に出た私一人


兄と母それぞれに
抗癌剤投与あるいは服用の
サイクルも症状も程度も異なり

かと言って
二人とも決して
辛いからと言って
グダグダいう訳でもなく
誰かに当たる訳でもなく

一人でじーっと耐えて
マイペースをモットーに
基本的に
自分の事は自分でやってきたし


とは言え
食欲のない時期の二人を
側で見続けているのは
私にとって
とてもしんどかったのだと思います

「どうしてあげたらいいのだろう・・・」



5月の連休明け後のある日

カートを押しながら歩くのは
母にとって楽なので
母を連れて買い物に行き

「好きな物を選んでね」
と、お願いすると

かっぱ寿司
しめ鯖
パイナップル・・・

酸っぱい物ばかりを選んでいました

「これでいいのだ・・・」


この時
何かが、ふっと・・・
切れた感じがしました



ガスの消し忘れ
フライパンや
魚焼き器の空焚き

母が
「お休み」
と、自室へ戻った後に

たまたま
私が、その空間にいたから
難なく、気付けた事が
1日置きに続いてみたり



また
呼吸器は

やがて
休んでもしんどさが続くようになったら
常時、酸素吸入をすることになる
と言われている
慢性閉塞性肺疾患

現在
お薬が効いていて
咳き込む事は
ほとんど無くなりましたが

週2回
ゴミ出しを自らの役目だと
頑張って来た母でして
戻って来ると
椅子にどたーっと腰掛けて
「はーはー、ぜーぜー (=0=;」 
の、母の姿を見るのは
娘として忍び難く

背骨脇、肩甲骨の内側を
指圧すると楽になるので
数分押しながらの時に


あるいは
ニュースで
高齢者運転の事故を見る度


「もう、そろそろいいんじゃない」
と、言ってはみても


「私に運転するなと言うのは
 死ね !! と言うのと同じだ !!」




デイサービスやショートステイは
介護保険のせめて
要支援1でも付かないと無理であると
あちこちの専門の方々から
何度も聞いている

それならば
健康なお年寄りが集まる
「生き生き教室」に行ってくれれば
迎えにも来てくれるし
本来、誰とでもすぐに仲良くなれる母の事
すぐにお友達ができるだろうし

体調のすぐれない時は
すぐ横に診療所があるので
医者や看護師が飛んで来て下さるとの事だし

「行ってみない?」
と、勧めてみても

「あれがどんなものか知っているけれど
 とても、私の行くところではない!!」

と、腕を組んで ぷいっ!! (*`へ´*)



かつて
20~30年前
婦人会の役員をしていた時に
研修で、施設を訪問しているのだと

その時の印象が
母の心の中にガンとあって

「あそこは
 私の行くところではないのだ」 と



兄の事、母の事
私しかいないのだもの
しんどくても
私にできる事はしなくっちゃ

って、ずーーーーっと思ってきました

が、


5月中旬でした
「これ以上、無理・・・」



丁度その頃からです
二人共、まだ介護認定は無理でしょう
(兄は
 「植物人間にならないと無理なんだ」と思い込み
  意識がはっきりし、「申請は無駄だ !!」
  と、言い切る兄を無視して
  勝手に申請手続きはできないのです)
の、状況下で

しかし
医療保険で、週3回まで
訪問看護を受けられると


「そういう事は
 早く、誰か教えてよー」


早速手配して
来てくれた看護師さんに
「私、もうしんどい」
と、訴えたら

医療過疎地のこの山あいに
無料の「心の相談室」があると
教えてくれて
即、予約して行きました


「今日はカラッと晴れて
 気持ちいいので
 お布団を干して来ました

 などど
 明るい顔をなさっていますが
 すぐに治療を受けてください」

でした



そんな頃
マギーズ東京を知り
「救けてーです」のメールを送ると
即、お電話を下さり

「そちらだと
 ○○○○さんへ
 相談に行ってください
 こちらの責任者の○○○○の紹介だと言って」


何と
ひのきの林のぱらだいすから
車で5分

すぐに訪ねました



「一旦、あなたは名古屋に戻って
 今の内に身心を休めて下さい
 
 お兄さんは末期ですよ
 (介護保険使えます)
 
 お母さんは
 貴女が先回りして色々やってしまっているから
 当たり前に思っているんです
 
 一旦貴女が離れて
 お母さんが不自由さを感じた時が
 次、どうするかの話をしてゆくタイミングなんです」


3日後の5月下旬
夫に名古屋に連れ帰ってもらいました、私を



以前通っていたクリニックは遠いので
インターネットで探したら
名古屋の自宅近くにあり
すぐ、予約をして
初めて受診したのが
6月1日


「やがて
 お兄さんとお母さんにとって
 貴女が、本当に必要となる時が
 必ず来ますから
 その時まで
 ゆっくり休んでください

 お兄さん
 介護認定出るはずですけど・・・

 『やりたい』と思う時が
 必ず来ますから
 それまで決して
 『やらねば』と思わない事です
 いいですね

 ご自分を
 もっと評価していいのですよ

 これまで飲んでいたお薬
 (かつて眠れない時期が長かった時
  処方されていた導眠剤や抗不安剤を
  御守りにいつも持っていて
  時々飲んでいたのですが)
 も、いいのですが
 少し変えてみましょう

 ゆる~く、なが~く
 効くタイプです」


その晩から飲み始めて
今現在も続けていますが

1ヶ月半
寝て果たしました


食べてはウトウト (ノД`)・゜・。
ソファに横になって WOWOW
何時の間にかグーグー (=_=)💤

夫の夕ご飯と洗濯だけ
なんとかしていました



そんな時
たまたまNHKで
土井義晴さんの「一汁一菜の勧め」を見
心がパーッと晴れたり

夫との
初めてのジパング旅行で
東京行ったり
していたのです





いくら休むと言っても
兄の入退院のお手伝いくらいは
兄一人では無理なので
「ちゃんとするよ」
と、言っていたのですが

あれは
6月中旬辺りからの事

「明日、恵那へ行くのだー!!」
と思うと
夜、熱が出るのです
38度

感染症に弱い
兄や母の為に行かない事にして
夫にお願し、24時間後
熱は下がるのです

これが
何と4週 続きました



かつて
書きましたが
私、50歳過ぎてから
膠原病の場合高くなる
抗核抗体が高い事がわかっており

私の場合
高いけれど膠原病ではない5%なんだと

しかし
何人かの医療関係者から
「一旦、スイッチが入ると
 生涯治らないから
 ストレス溜めないように」
と言われており

また
近年の定期健診では
肝臓の病気か膠原病になると
数値が高くなるZTTと言う値が
続けて高くて

検査すると
肝臓は異常なし
もし、もう一つに異常が出たら
体に明らかな異常が出る
そうなったら
専門医へ行くようにと言われているのです


もしかして・・・

と、定期検診を受けている病院へ
飛んで行って
血液検査だけで
1万円以上お支払する程の検査をした結果


抗核抗体は陰性・・・つまり検出されず

「えー!!
無くなるものなのですかー?!」

「そのようですねー・・・」


但し、膵液が高い
ストレス性だと思うが・・・
くらいで

特に、熱が出る原因は特定されず

担当医師曰く
(飛んで行った日担当は、循環器専門の先生でした)
「よく、不整脈出ませんでしたねー
 介護はほどほどにしてくださいね」

「はーい」


この日を境に
日中のネムネムは無くなりました(笑)

振り返ると
ここからが
サプライズのスタートです





で、気を良くして
「私、すっきりしたよー」
と、兄の退院に迎えに行ったのが
7月29日

この時、兄は
これまでで初めて
自分で退院の荷物の準備が
全くできない程弱っていました

「お前、良かったなー
 俺は体重減って落ち込んでいる・・・」

176㎝の兄と160㎝の私と
体重に余り差が無くなってきました





この2日後の7月31日

この日、何があったのか
いずれお話しできる時が来るかと思いますが

この日を境に
まるで怒涛のように
結果オーライのサプライズが押し寄せてきて
今の私達の平穏があります

続く
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Comment 1

Thu
2017.09.21
18:05

ヨッシィー #-

URL

こんにちは、つるりんどうさん
大変でしたね
マギーズ東京を知った頃が一番辛かったのでしょうね
それから流れが良くなっていったようですね

また、ご自身の健康不安も検査の結果
大丈夫な事が判ったのは、力強いですね

これからは皆の助けを借りて進めて行けば良いのですよ
一人で抱え込まないことですね

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