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兄の宝物 その2

北陸の大雪は大変です


昭和56年以来との事ですが
その時の事
私、覚えています

車で15分のところ
歩いて50分かけて
会社行った記憶あります

朝1時間の雪かきしないと
車、出せない

夜、帰宅後
再び1時間雪かきして
ようやく
駐車場に車が入る

来る日も、来る日も
繰り返していた事覚えています



3月の法事のご案内を
月曜日に投函したのですが
東京へは、既に届いていますが
金沢へは、まだのようです

福井の4日目の
あの車の大渋滞

あの中なのでしょうね



そんなことより
運転手さん方の疲労は
いかばかりか・・・

1時間でも
1分でも早くと

祈るばかりです





今年の大寒波の第一便が来たのが
1月12日朝の事でした

北陸が大雪の時
恵那はこの冬一番の最低気温となり

ひのきの林のぱらだいす は
なんと-16℃でした

暖房の効いた病室で
兄の側で寝ていた
私のお腹が
異様に冷えたのを
忘れる事はできません


兄の意識は
その時から無くなりました


そして
翌、13日朝
亡くなりました



その
翌日の朝の様子が
画像に残っていました

18 02 08 1

18 02 08 2

18 02 08 3

18 02 08 4

この日が
お通夜でした



そして
15日、告別式の後
兄の棺に
これらを納めました
18 02 08 5

5年前の7月
手術日の朝
仲間が送ってくれた
エールの寄せ書き

受け取った時
「俺は
 こうゆうの苦手だ」
などと言ってましたが(笑)

大事に保管していたのです


そして
京都橘高校吹奏楽部の生徒さん方から
プレゼントされたアルバム

応援に会場へ行く時
千羽鶴と共に
しっかり胸にかかえていました

また
入院の時も
千羽鶴と共に必ず
病室に持ち込んでいました

欲しくなくなるまで
ついに
自分から止められなかった
煙草も一緒に持たせました



また
後日、ゆっくり書きますが

「寅次郎、最後の恋」 ならぬ
ほのぼのとする
兄の、人世最後の
プラトニックラブストーリーがあったのも
この、画像に写っている
1枚のお手紙が物語っていました


昨年4月に
兄自身から聞いてはいたのですが
どの方が、マドンナなのか
実に、思いがけない形で
明らかになったのですが

その時、既に
兄の意識はありませんでした(笑)

最期まで
兄らしかったです


こちらも
納棺しました


     ena 1 19 30
     千羽鶴に込められた
     たくさんの方々の声援も一緒に
     持たせました   

                                                                                 18 02 08 7
葬儀翌日

お仏壇の横に
兄の遺骨を安置し

遺影の横には
祖父、祖母、叔父
そして、父の遺影も並べ

さらに
ボビーの遺骨も
遺影とともに
足元に添わせました



この、3日後
兄もボビーも
名古屋へやってきました。
             



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