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遺されていた画像  ②

前回の画像は
ちょうど4年前でした



それから
ちょうど1年経った
今から3年前の
こんな一日の様子が
遺されていました



4月25日
朝食
27 04 25 1 朝食

中は
27 04 25 2
27 04 25 3
27 04 25 4
27 04 25 5

流動食ですね



お昼ごはんは
27 04 25 6 昼食
27 04 25 7  おもゆ
重湯

スプーンの雫💧に
何を思いましたかね

お昼もやはり
流動食です


兄は
ヨーグルト
それまで
全く見向きもしませんでしたが

この日は
果たして
口にできたでしょうか?




この日から
1週間程前
4月の中旬の事でした

今と同じように
平日名古屋で
夫と過ごしていた私に
母から電話が入りました

兄が入院したと


しばらく前から
名古屋から恵那へ向かう途中で
欲しいものがないか
電話を入れる度

「うぅ……」

苦しそうな様子が
増えてきており
心配はしていました



その年、1月の
定期診断で

「このままだと、あと
 半年から1年後の間に
 末期症状が出るだろう

 治療するように‼」

主治医から言われたのだと


「だけど 
 俺は治療しない
 このまま死なせてくれ」



そう言い続ける兄に
かける言葉は
相変わらず見つからないまま

とうとう
転移した大腸癌によって
小腸が腸閉塞を起こし
即、入院、絶飲食になったのだと


病院に、入ったのなら
自宅の自室に籠りっ切りより
安心できるから

週末、夫と見舞いに行くつもりで
段取りをしていたら

兄本人から電話がかかって来ました


「どうなるの?」

「そうだなぁ…
 点滴だけで
 あと、どれだけ生きられるかだ」

「……それで、いいのー⁉」

「うぅ…ん
 まあ、仕方ないよ」

「………」



点滴だけで
1週間過ごした後

ようやく許されたのが
流動食だったのでしょう


小腸が腸閉塞になるまでは
大腸を、半分取った体でも
大食漢でしたから
胃は元気一杯

「腹は減る」のです



どんな思いで
出される食事を
頂いていたのでしょうか



もともと
好き嫌いがはっきりしており
本来、病院食は苦手でしたが

この日から
出されたであろう食事は
朝から
ディナー並みに
思えたのではないでしょうか


晩年
よくヨーグルトを
食しましたから

兄にとって
とても尊い体験だったようです





朝食をとり
昼食もすませ
点滴が終わると
カメラを抱えて
病院周辺を散策するのが
日課になったようですね

27 04 25 8 山桜

山桜を見上げ
何を思っていたのでしょうか?


この頃は
当初、母が
途中からは私が運転し

毎日のように
病院へ迎えに行き
夕方まで家で過ごし

ひたすら
荷物の整理をしていたものです


「冬まで、いないから」と。
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