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遺されていた画像  ③

ブログ
ご無沙汰致しておりましたのに
度々ご訪問下さいました方々
いつも本当にありがとうございます
とても、励みになっております
     m(__)m



ブログの皆様には
初めてお伝えさせて頂くのですが

このブログは
2月半ばから
公開と同時に
亡き兄のツイッターに
投稿されるようになっています


しかも
スマフォからも
更新できるようになりましたので
( でも
文字を大きくする方法は
  まだわかっていませんが 
(^^; )

パソコンは名古屋に置いたままの現在
GWは、恵那からも更新しました





GW後半には
予定通り
恵那から名古屋へ
兄の遺品を含めた
大まかな引っ越し終了しました


築30年の名古屋のマンションは
近年、次々設備の寿命に見舞われ

この機会に
水回りを中心とした
改装を予定していまして

私達夫婦の
これからの余生を見据えた
改装と断捨離に

せっせと

励んでいる今日この頃です





恵那もゴミ出し
名古屋もゴミ出しに明け暮れながらも

何度も書いているような気がしますが


母と兄の家具や衣類、荷物
また
農機具類のほとんどを

ご懇意にして頂いている方々が
気持の良いほど
お持ち下さいまして

とても有難い気持ちで
ここまで来ました



お陰様で
腰の張りや痛みは
まだ少し残っていますが
杖は使わなくなり
大分、動けるようになりましたところで


土日は夫と共に
名古屋に運び込んだ
母が大事にしてきたお仏壇を
整えておりました

もう少しで
兄の遺影も
目の前に復活します





いつものように
前置き長くなりました



兄が
ハードディスクに遺していた画像の内
3年前のちょうど今日
5月15日 07:13 撮影は
こんなです

27 05 15 10 鯉

現在の病棟は
一昨年11月から使われましたが

この頃、朝の日課として
隣にあった古い病棟から
広大な病院敷地の一角にあった
ヘリポート脇の池に
鯉がいるのを見つけ

餌をあげていたのです


家への送り迎えの際
「寄ってくれ」 と言われて
一緒に餌やりをしたものですが

その際に教えてもらっていた事に

27 05 15 9 がめつい鯉

「こいつ
 この黒い真鯉が
 餌を独り占めするんだー」

錦鯉達が
食べようとすると

「どけどけー !! 」 って(笑)





この頃の兄は
まだ、治療を拒み続けていました


兄にとって
どうある事がベターなのか
兄の言葉通りでいいのか

私達家族
母、夫、私の三人は

お互い言葉にせずとも
心の中で悩み続けていましたが


それでも
兄と車の中で二人切りの時間の際は
兄に伝え続けていました



「生きる事で
 必ず、良かったと思える事あるよ」

すると、兄は

「俺は
 生きていてはいけないんだ
      …… 罪と罰だ !! 」 と





信頼できるある方に
何度も相談しました際
この
鯉の餌やりのお話をしましたところ


「お兄さんは
 施しをされているのですね
 
 お兄さんによって
 苦しんだ方は
 確かにいるのかもしれない
 
 でも
 お兄さんの、その施しによって
 救われた方も
 きっといらっしゃるのでは
 ないでしょうか

 あなたの素直な気持をお伝えしたら
 いいのです

 『こうして
  話している事が楽しいのだ』 
 
 『今、こうしている事が嬉しいのだ』
      
          と、いう風に」





それから
毎日言い続けました

「あにきの解説
 世界情勢や政治の話しは
 わかりやすいし、楽しいよー 

 何歳の時の
 あれはおもしろかったー
 
 あの時
 あのようにしてくれて
     嬉しかったよー」



それでも 
「生きていてはいけないんだ」
を、繰り返す兄に

更に
この様に伝え続けました



「過去を振り返って
 悪い事をしたなー と
 思う事があったら
 仏様に、心より
 『ごめんなさい』 しようよ

 嬉しい事があったら
 『ありがとうございます』 しようよ

 
 真が通じた時、きっと

 『わかったぞ』 て
 仏様はおっしゃって
 一つ一つ浄めて下さって
 
 先を明るくして下さるよー


 私の前で
 そんな事口にしなくていいから
 あにきの心の中で
 仏様と対話してねー」



兄は、黙ったまま
返事する事は
決してありませんでした


それでも
私は、毎日毎日
伝え続けました





先程の鯉の画像から
一週間後の5月22日には
こんな画像を遺しています

27 05 22 11 お友達

この患者さんは
兄の入院仲間の方でした

兄と同じ主治医が
処置をなさっておられる様子ですが
主治医も患者さんご本人も
兄がカメラを向ける事を
了解なさったのですね


この方
新しい病棟まで
兄と共に頑張りましたが

先にお亡くなりになっています


兄は
この方の事を、いつも気にして
病室の前を通りかかると
「お前、そこで待っていろ」 と
必ず中に入り
お見舞いさせて頂いてました



この方の奥様とも
兄は昵懇となり

廊下でのすれ違う際には
お互い、笑顔で
声かけ合っていましたね





さて、翌日
こんな様子を
連写で何十枚も撮っていました

27 05 23 12 朝焼け

27 05 23 13 朝焼け 2

5月23日 04:43 朝焼け
そして、新病棟の工事の進捗状況

どんな思いで見つめていたのでしょう





この日の昼食
私達全員、兄から
病院近くのお蕎麦屋さんに
集合かかっていました


数日前まで
流動食しか食べれなかった筈なのに

とろろ蕎麦を注文し
私達の目の前で
一気喰いしたものです


あっけにとられた私達
絶句して見守っていた事
忘れられません

「この位なら
 食べてもいいんだ」



食べ終わった兄は
ようやく
お蕎麦に手を付け始めた私達には
お構いなしに
この様な質問を始めました


血液のデーターを出し
腫瘍マーカーの値の変遷を見せ


「俺は、このまま
 治療せずにいたい気持に変わりはない

 が、治療する事で
 万が一の確率で
 小腸を圧迫している癌に効いて
 上手い具合に
 スポンと穴が空いて
 通る可能性がある

 そしたら
 お前の言っている
 温熱療法できるかもしれない

 あなた達は
 どう思う ? 」



信頼できる筋に
兄の事を相談していた際に
副作用の無い温熱療法を勧められ
兄に、伝えていたのですが

「俺は、生きていてはいけない」
としか応えなかった兄が

まさかの
この、一週間の間に
あちこち問い合わせしていたらしく


腸閉塞は
手術か抗癌剤治療して
通るようになってからでないと
腸の破裂の可能性があり
今の状態ではできないと
どこからも断られていたそうです


そこで
がっくりくるのかと心配しましたが

まるで正反対

主治医と
可能性を探って
話し合いを続けていたとの事



主治医ご自身が何度
「治療するように」 説得しても
一切応じなかった兄が

「妹が、温熱療法しろってー」 と
主治医に訴えたのでしょうか



兄が亡くなった今年1月13日早朝
非番にも関わらず
ご自宅から飛んで来てくださり
病院とお別れする際
お見送りまでしてくださった
主治医とは

お手紙で
お礼をお伝えさせて頂いたものの
お忙しい中にお時間を割いて頂くのは
申し訳なく
お会いする事のないまま
現在に至っておりますが


やがて、時が与えられたら
この時の事を
詳しくお聞きしてみたいと思っています



昨年4月
主治医と二人でお話させていただいた時

この3年前の、この時までだと
思っていたと
おっしゃっておられましたから

兄の変身ぶりは
主治医がおっしゃったように
まさに
奇跡としか言いようが無かったです





私達は、口を揃えて

「治療をして、少しでも
 効果が出る可能性があるのなら
 是非、治療してほしい !! 

 命は、大事にしてほしい !!」


勿論、速答しました
それが、土曜日だったと思います
夫が一緒にいたのは
休日だったはずですから





そして
月曜日、5月25日 
10:27 の画像は
病院敷地内の
お花だらけなんです(笑)


まず、金鶏菊
27 05 25 14 金鶏菊

そして、マーガレット
27 05 25 15 マーガレット

撫子ですね
27 05 25 16 ピンクの花


ご覧ください
27 05 25 17 お花畑

この、お花畑を(笑)


どんな気持ちだったのでしょうねー





兄が、お花を撮っていた頃
名古屋の自宅に居た私は
兄に内緒で
主治医とのアポイントを取る為
病院の総合受付にお電話し

心が嬉しさと、緊張で
要を得ない話しぶりで
時間がかかり

ようやく、病棟の看護師長さんに
繋いでいただき
涙しながら

上記の通り
兄から質問を受けた事

兄抜きで、主治医に直接
治療をお願いしたい事

( 兄が入ると
  兄の独断場になるからです )

しどろもどろになりながら
穏かに耳を傾けて下さる師長さんに
切々と訴えていた事を覚えています



師長さんは
私の話しを全部お聞き下さった上で
この日の午後に
主治医との時間を設定して下さり

その上で
このようにお話下さいました


「今まで、全部自分で決めてきたのに
 今回どうして
 ご家族に聞いてみたの?

 て、質問したら

 聞いてみようと思ったからって(笑)」





午後2時に
母と二人で主治医とお会いし

「治療をお願いします m(__)m」

と、申し上げたら


いつもは、優しい柔らかい
小さな声の主治医が
お腹から大きなはっきりしたお声で

「はい、わかりました !!」





翌、6月に
一回目の抗癌剤治療直前に
一人で、私の車を運転し

確か三泊の予定で
京都へ行きました



ここから先は
橘さんファンのお仲間の方々の方が
お詳しいのではないかと思います。
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