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兄版 「寅次郎 最後の恋」

兄の思い出話しは
今回が最後です

今年に入ってから
ずーっとお付き合い
いただきまして
ありがとうございました



今回のタイトルで
もっと早く書き

兄の引継ぎTwitterは
終了するつもりでいました



ところが
Twitterに同時投稿しながら
思いがけない事が
次々耳に入ってきたり

???…な事が
      続いたり


兄がお世話になっていたであろう
方々へのご挨拶は
単純に、すんなり
終わらせてはいただけませんでした



しかし
ツィッターを続けながら
何人もの
誠意ある方々との交流と
兄の遺品の整理をしている内に

思いがけない事実が
少しずつ判明し、その結果


間違いなく
私の知る
「兄らしい兄」 
であった事がよくわかり
安堵し

私自身の
心の整理がつきました



「あにきぃ、もう、いいね」



と言う事で
最後のタイトルは

兄版 「寅次郎 最後の恋」です

最も兄らしい
人生最期を締めくくる
エピソードです






この
ガラケイは
兄の最後の携帯電話

兄が最期まで使っていました

この画像は
兄亡き後、2月9日に
撮影しています

私の顔の一部と
カメラを持つ手が写っていました(笑)



電源を入れて置くと
アラームが鳴り続けていました

夜の10時から
朝の8時まで
2時間置きに


画像はちょうど
アラームが鳴っているところです





年末京都から戻り
緊急再入院してすぐの夜中に
兄は、自力で
トイレに駆け込みました

大声で叫んでいるので
飛んで行くと

全身真っ裸になり
便座に座り

「暑い暑い !!
 保冷剤をもらってきてくれー !!」


ナースコールをし
持ってきてもらった保冷剤を
私と看護師さんの二人で
それぞれの両手に
合計4つを持ち

兄の肩に、背中に
保冷剤を当てて
兄の身体を冷やそうとするのですが


「もっと冷やしてくれー !!」

兄は自分で
トイレットペーパーを
次々取り出し
トイレ脇の手洗い用のカランを開けて
水浸しにしたトイレットペーパーを
自分で体のあちこちに
貼り付けました


「苦しい、苦しい !!」
を繰り返し

ようやくベッドに戻ったのは
1時間後でした



トイレに立ったのは
この時が最後でした





翌日、夜勤の看護師さんに
兄は次の事をお願いしました

「あなたに二つの事を
 お願いしたい

 まず、部屋の温度を
 24℃に保ってほしい

 次に
 あなたが僕の見回りの際に
 僕に『水分を摂るように』
 声をかけてほしい」



その看護師さんは
「はい」と、快く
返事して下さいましたが

翌朝の兄とのやり取りでは


「声をかけてくれなかったね」

「いいえ、かけましたが
 ぐっすり休んでいました」

「それでも、起こしてほしい」 のだと



突然、身体がかーっとなり
熱中症状態になるのだと

京都から帰った来た晩は
死ぬかと思ったと



数回体験してわかったのは
小まめに水分を摂っていると
効果があるようだと言う事


「だから
 日中は、看護師さんが
 頻繁に来てくれるから
 何とかなるけど

 夜中は
 看護師さんが少ないので

 いざ、あんな事が起こった時
 すぐに
 対処してもらえないのではないかと
 とても不安なんだ

 だから
 定期巡回の時でいいから
 必ず、僕を起こして
 水分を摂らせてほしいのだ」 と



次の晩も
その次の晩も

それぞれ担当の看護師さん達に
同じ事をお願いするも
悉く拒否されていました


「夜中に熟睡している患者さんを
 無理やり起こすことはできない
 私達、看護師の倫理に悖るから」 と



そこで兄が考えたのは
看護師さんに頼んでも無理なら

「自分で起きるのだ !!」  と

その日の内に
先程の携帯電話に
アラームをセットしたのです





ところが
次の夜勤担当は
男性の看護師さんでした

兄が入っていた病棟の
唯一の男性看護師さんで

兄は
「いいやつなんだが
 気が利かない !!」 と



抗癌剤の副作用で
手足に痺れと共に痛みがある足を

その男性看護師さんは
すぐに忘れて

担当以外の時にも
兄を励ますつもりで
ちょくちょく
顔を出してく下さる方だったのですが


私も一度目撃しました

「やー、○○○○さん
      げんきー?」

と、言いながら
兄の足を
パーン !! と叩くのです


兄は、本気で怒っていたものです (笑)



その彼が
突然の熱中症に怯える
兄の担当になった晩

兄は、彼の顔を見て

「おぉ、お前かぁ…
 頼みがあるんだ…」 と

悉く、女性看護師さん達に断られた
要望を伝えたところ


「うん、わかったよ」 と

あっさり、承諾してくれたのです



果たして、その晩

疲れ切っている私も
夜中、ウトウトする中

兄と彼との話し声が聞こえました


内容は聞き取れませんでしたが 
兄の身体をマッサージして下さりながら

二人で、つまつまと話し込んでいました



私の記憶では
その一回だけでしたが

その晩、兄は
久し振りに、朝まで
熟睡しました



私が思うに
男性の彼は

兄に逆らう事無く
「いいよ」 の返事一つと
一回のお話相手だけでしたが


兄は、たったそれだけで
安心できたのだと思います



男性と女性の
性質の違いだなと
私自身、この時学びました


女性の細やかさは必要
しかし
男性の大らかさも必要

両方必要





彼の当番が明けた朝
看護師長さんが入って来られました

前日、兄から
「俺の要望は
 看護師では無理だ
 師長を呼んでくれ」 
と、頼まれていたのですが

その日は
師長さん、お休みだったのです



久し振りに熟睡できた兄は
師長さんの顔を見た後
私を見て

「何の用事だったっけ?」 と (笑)


私から説明すると
兄は思い出して
これからもお願いしたい旨を
力説すると

看護師長さんは
やんわり

「私が担当でも
 同じ事すると思うなー」 


兄は黙っていましたので
私、横から口をはさみ
男性看護師さんとの事を
お伝えしました



兄も、看護師長さんも
「・・・・・」 のまま

そこは終わりました





さてさて
この話と
今日のタイトルと
どの様な関係があるのかは
これからです





昨年の4月最初に
抗癌剤治療入院した時の事

全ての荷物を運び終わった私に
兄は、突然こんな事を言いました


「おいお前、大変な事になったー !!
 
 俺の一番のお気に入りの看護師に
 俺の最期を
 看取ってもらうつもりでいたんだが

 その看護師が、この4月から
 遠方に研修に出る事になっていて
 10月に戻ってくる予定だったから
 アメリカから帰って
 丁度いいなと思っていたんだ

 ところが
 そいつ、予定が伸びて
 戻って来るのが
 来年の4月になったんだー

 困ったなー
 俺、来年の4月まで
 頑張らないといけなくなったー !!」




9月下旬より
抗癌剤治療が中止せざるを得なくなり
10月の再挑戦も中止になり

11月上旬に
兄から余命が3~4ヶ月だ
アメリカは諦めたと聞いた時

どうやって励まそうか…と



そうだ !!

「お気に入りの看護師さん
 帰ってくるの、4月でしょう?
 それまで頑張らなきゃ !!」

って言うと

「…もう、帰って来てる
 研修先に問題があって
 途中で打ち切って戻って来た」 と



11月下旬から
兄の要望で
私が随時、側にいる事になった時

毎日
担当の看護師さんが変わるので
その内
その看護師さんに会えるものと
思っていました



ところが
いつまで経っても
どの方かがわからない


兄に聞きました
「どの人?」



すると
「あいつは、来ない」

「えっ? なぜ?」

「俺の事、嫌いなんだろう」 と

「はー……?」





兄が亡くなった後で
わかった事なのですが

病棟の看護師さんは
二つのグループに分かれていて
彼女は
兄の担当とは別のグループに
配属されていたのです (笑)



また
看護師さんの中に
お腹の大きい方が
その当時、3名いらして

その中のお一人だったのです (笑)





1月3日
私が還暦を迎えた事を兄に伝えると
兄は私の手を
黙って握りしめて、後
言いました

「○○○(私の名前) すまない
 俺はもう頑張れない
 薬で眠る」 と



翌、1月4日夕方より
モルヒネの投与が始まりました

が、すぐに
兄や私が想像していたように
楽に眠れた訳ではなく

看護師さんに聞いても
主治医に聞いても

皆、マイナーな表現は一切無く

「その内、楽になる」 と



そして
兄が苦しがると

看護師さんは一様に
兄や私に確認するのです

「フラッシュしますかー?」 と


兄も私も
どうすればいいのかわからず

「どうしたらいいの?」 と返すと

看護師さんは2人立ち合いで
フラッシュして行きます


すると、しばらくして
兄は、穏かに眠るのです





何がどうなっているのか
その時の私の言葉で質問しても
よく、状況が理解できないでいた時

兄がまた苦しくなり
ナースコールをすると
飛んできてくれた看護師さんが
私にこのように言い聞かせてくれました



「苦しくなったら
 フラッシュしたらいい

 もう、それしかない

 やがて
 呼吸困難になるけれどね」



この時、私、覚悟できました

「そうなんだ
 モルヒネを使うって言う事は
 今の日本における
 最善の終末期医療

 つまり○○○なんだ !!」 と



この時の看護師さんは
度胸がある女性だなと思いました

お腹の大きい看護師さんの
お一人でした





さあ
そして
兄が亡くなる前日の事

もう意識が亡くなった兄の世話に
その、お腹の大きい
度胸のある看護師さんが
何度も病室に入り

誰も口にしない事を
私に言ってくれました


「今夜が山かな…」





夕方
日勤が終わり
帰宅前のタイミングで

その看護師さんが
一人で病室に入って来ました



目に涙を溜めながら

「○○○○(兄の名)さん
 どうかなー…

 私は、明日非番で
 明後日、来るけれど
 もつかなー…」

と、言うから、私

「ところで、あなた
 いつ出産予定なの?
 兄から預かっている物が
 あるので」  



兄は
結婚したり
出産したりする看護師さんに
こっそりご祝儀を
お渡ししていたのです

その事を知っていた私は
彼女にも
出産祝いをお渡しするつもりでいると
伝えたつもりが


彼女が口にしたのは

「お手紙ですか?」 って



「えー !!」 と、私

「私、頼まれていたのです
 最期を看取って欲しいって」 と

「あなただったのぉー」 



もう、幾ばくも無い
兄の病室は
大笑いの渦になりました(笑)



続けて彼女が言うのに

「私が妊娠したから
 お兄さん、がっかりしたのかなぁ…
 それで
 アメリカ行けなくなったのかな…」





翌朝
非番の主治医が
最期のあいさつにお越し下さり

病院を出発する際
その晩担当だった看護師さんから

「妹さん
 今、○○(お腹の大きい看護師さん)
 さんが来ますので
 それまで
 出発を待ってもらえますか?」

「いいですよ」



主治医と
その晩の担当の看護師さんと
(この方も、兄の要望をすべて
 「はい (´▽`)」と
 返事なさる方でした)

そして
目を真っ赤にした
お腹の大きい彼女の三人が

病院からの出発に
立ち合って下さいました





その夜の事

お腹の大きい彼女から
私の携帯に電話が入り

「今からお参りに行っていいですか?
 本当は禁止されているのですが
 どうしても
 お参りさせていただきたくて
 妹さんの電話番号を調べました」

「はい、どうぞ」



マイナス10度以下
雪が舞う中

仲間の看護師さん達と
三人でやって来ました



他の二人の内、一人は

兄が
「あいつとは、気が合う」 と
いつも話していた
ボーイッシュな女性看護師さん


そして、もう一人は
唯一の男性看護師さん



夫と五人で、兄を囲み
色々お話を伺いました


あの
夜勤の話しも出たし
彼に、感謝をお伝えできたし

兄が、気が合うと
いつも言っていたよ、とも
お伝えできたし


そして
私に覚悟を決めさせた
あの日の彼女の表現にも
感謝をお伝えできました



すると
彼女、彼達は
それぞれに
兄に感謝の気持ちを
沢山伝えて下さいました



「私が、初めて担当したのが
 お兄さんだった
 
 『怖がらずに、俺を実験台に
  抗癌剤投与していいぞー』 
 
 って、言ってくれて
 どれだけ励ましてもらったか
           わからない」


「僕が、患者さんに初めて
 注射打ったのが
 お兄さんだった

 ばんそうこを
 指でちぎって貼ったら

 『俺はいいよ
  だけど、他の患者さんには
  きちんと、鋏で切った
  ばんそうこを貼ってやれよ』

 って、指導してくれた」 などなど





それで
すべておしまいかと思いきや

彼女、彼達の帰宅後

「えー !!?」



お腹の大きい彼女と
唯一の男性看護師さんと
一つの香典袋に
同姓で連名で名前が書かれていました(笑)





葬儀が済んで、後日
お礼がてら連絡し


「あなた達、ご夫婦だったのねー」

「はい、1月1日に入籍しました」

「兄は、知っていたの?」

「私は、言えませんでした
 だって、相手が彼だとわかったら
 お兄さん、がっかりすると思って」


「そりゃぁ、聞けば驚いたでしょうが
 きっと今頃、喜んでいるよー

 『お前たち、よかったなー』 って」



そして
こうも付け加えさせて頂きました


「兄は、二度結婚し
 二度とも失敗し
 離婚しているけど

 もし、あなたと歳が近かったら
 兄が、あなたと結婚したいと言ったら
 私は、大賛成しましたよ

 どうぞ、お幸せにねー」




二月のブログにも載せましたが
既に産休に入っている
この方と、改めてお食事をした際
お聞きした話が
いかにも寅さんでした



兄が、彼女の事を気に入って

「今後の入院の際
 俺専属の担当になってほしい」

と、無理を言ったそうです


当然、不可能ですから
やがて、兄の担当から
はずれる事に (笑)



それでも
兄はめげずに
彼女の誕生日になると

「ケーキ屋さんに予約してあるから
 取りに行って来てくれ
 俺、足が無くてー」

だったり (笑)


「近くの牧場で
 写真を撮らせてくれないか」

と、またまた無理言ったり (笑)



そして
「これは、私が
 プレゼントしました」
と言うのは
兄の最後の携帯電話

ランプの飾り

お揃いなんですって
彼女のスマフォについているのを
見せてくれました



彼女が最後に言って下さったのは


「病棟の主治医も看護師長も
 みんな、この事は知っていた

 そして、みんな言っていた
 『あれだけ一途な人いない』って」





3月上旬
無事に女の子が産まれ
お二人は、今とても
ハッピーでいらっしゃいます



彼女は
一年お仕事、お休みらしいですが


母も同じ病院に
今もお世話になっていますので

先日、付き添って行った際
廊下でバッタリと


お参りに
一緒に来て下さった看護師さんにも

また
ご主人様にもお会いして


お二人とも
私の顔を見つけると
飛んで来てくださり

今も変わらず声をかけて下さいます

「病棟に遊びに来て下さい !!
 みんな、喜びますからー !!」





兄は
私に本当に沢山の宝を
遺してくれました

橘さんファン仲間
ツィッター仲間

そして
看護師さん達





兄をあそこまで
温かく励まし
橘さんファンとしての兄を
声援し続けて下さった
主治医はじめ
沢山の医療関係の方々



兄は涙ぐんで
こんな事言ってました

「俺が
 アメリカへ行きたいって言う気持を
 この病院の誰も否定しなかった
 みんな 
 『がんばろー !!』 って
 言ってくれた」





「どの様にお礼する?」

って、生前の兄に質問した時

「お前に任せる」 と



兄と私が
50年見続けてきた
私達大好きな
大きな油彩画を
寄贈したいとの申し入れを

先日、承諾する旨
連絡いただきました



個人の家に置いておくより
多くの方々の
目に触れる方が
断然値がある事と思います


「あにきぃ
   これでいいね」
 

 

 
 
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Comment 2

Fri
2018.06.08
13:34

まりりんご #-

URL

泣いたり笑ったり…

お兄さん、
ステキな人ですね。
ホントに…。
つるりんどうさん、周りの皆さんに宝物をいっぱい残してくれましたね。

Edit | Reply | 
Sat
2018.06.09
19:07

つるりんどう #-

URL

まりりんごさん、おひさしぶりです

ありがとうございます、そのようにおっしゃって下さって

本当に「寅さん」そのままで
いつもドタバタ大変でしたが

心が純真一徹でしたから
今思い出すのは
善き思い出ばかりです。

Edit | Reply | 

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